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きれいにお掃除

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 重い足取り。やっとのことで、帰り着いた。

 バッグから鍵を出すと、キーホルダーがガチャガチャと音を立てる。

 鍵穴に鍵を差し込み、グッと半回転させ、ドアノブをひいた。

 

 見慣れた玄関。一人暮らしの、私の家。靴を脱いで居間まで歩を進める。

「はぁ~、着いたー」

 ドサッと、ビジネスバッグを落とすように置いて、そのまま定位置の椅子に深く座り込む。

 ──毎日毎日お仕事。

 昔は夢があった。仕事の始めたても嬉しいことは多かった。

 それでも、一日一日と時を重ねるにつれて、小さなホコリが大きなホコリとなるように、いつの間にか耐えづらい疲労感となっていた。

「あー、いまからメイクおとしてお風呂入ってはぁ」

 時計をみると、針は夜十一時をまわっている。

 惠理はなんとなく目をやったフローリングに、大きなホコリや、自分の長い髪の毛が落ちていることに気づく。ここ最近、まともに家事をしていないからだ。

「掃除、しなきゃな」

 どんよりとした足取りで、部屋の隅に置いてあるクイックルワイパーを手にとり、玄関の方から簡単に掃除を始める。

一瞬、明日の仕事のことが頭に浮かび、はぁ~っと、ため息をついてしまう。

「考えるの、やめよ」

 ふらふらとした意識の中、フローリングを掃除する。クイックルワイパーがホコリを少しずつ絡みとっていくところをぼんやり見ながら、溝のとこに小さなホコリつまらせたくないなーとか、そんなどうでもいいことが頭に浮かんでくる。最初は隅から隅まで、スッスッと角度を替え掃除をしていくが、そのうち、なんとなく、真っすぐに進んでみたりした。

 

 ぼやっとした視界の中で、惠理は、ふと「あれっ、私の部屋ってこんなに大きいっけ」と気づいた。一人暮らしの私の部屋って、こんな長く掃除できるほど広くないよね

 なにか変だなと顔を上げてみると、目の前には、どこまでも続くフローリングの道ができていた。

 冷蔵庫もベッドもなく、あるのは、フローリングと、私と、宇宙のような真っ黒な世界。

 恐る恐る、後ろを振り返ってみると、数百メートル後ろにポツンと私の部屋があった。その部屋の玄関から始まり、私のいるところ、そして、そのずっと先までフローリングが続いているのである。

 前へ向き直し、途方もなく続くフローリングの道の先を見る。どうしようかと悩んでいると、手になにかを掴んでいる感覚があることに気づいた。あっ、クイックルワイパー持ったままだ。──ほんとにそんな理由で、その先へ進むことを決めた。

 スイスイと掃除をしながらフローリングの道を進む。なんだかふわふわとした気分で、止まろうとも戻ろうとも思えず、ただただ前へ進んでいく。周りは真っ暗なのだけど、この一本道だけはぼんやりと明るく温かい。

 それが、この先へ進むことに安心感を与えてくれた。

 

 どれだけ進んだだろうか。数分のようにも数時間のようにも感じながら、このフローリングを掃除しつつ歩いている。そのおかげか、目の前の景色に変化が現れ始めた。

 道の先に、フローリングと同じ茶色の惑星が見える。高さは高層ビルくらいだろうか。惑星と呼ぶには小さすぎるが、この大きさは惠理にとっては現実味がある分、強い存在感を発していた。

 いつの間にか足を止めて見上げていた。道は、まっすぐとその惑星まで続いている。

「この道もあの星も、なんだか汚れちゃってる

 そういえばと、気になってクイックルワイパーを見てみると、少し黒ずんでいた。それでも、この惑星をキレイにするまではもってくれると、変な確信を感じ、ここを進まなければと使命感に似たものが内から湧き上がってきた。

「よっしゃ、やるぞ」

 惑星までの道を「うおー」っと言いながら走る。風を受け、汗をかき、そのすべてを気持ちよく感じて進んでいると、すぐに惑星上のフローリングに到着した。

 そこからは不思議なことに、惠理が一歩進み、クイックルワイパーが数センチ前へ動くたびに、その数センチ分、右も左も横一面がキラキラと輝いていく。

 その輝きは何層にも積み重なり虹のような輝きになった後、ハジケて散り、底から、アクアマリンのように透き通った水色、惑星本来の色が浮かび上がってきた。

「すごく綺麗

 一歩二歩、そこからは止まれる気がしなかった。

 楽しくなって、ルンルン鼻歌を口ずさんでいたかもしれない。

 惠理が通った道は、すべて透き通った水色。

 これから進む道は、一歩踏み出すだけで輝きを生み出していく。

 前へ前へ、後方からの輝きにも押されて、この道を進んでいった。

 

 その惑星の外周をくるーっと周りきったところで、その透き通るように澄んだ地面にひとりの女の子が立っていた。その子は「よかったぁ」そして、「ここを綺麗にしてくれてありがとう」と言う。なにも声をかけずにいると、そのまま消えてしまいそうな雰囲気に、なにか言わなきゃと惠理は思った。

「あなたは、誰?」

「ごめんなさい、私がだれかは言えないの。でも、あなたの味方よ」

「味方?」

「そう、昔はよくあなたのお手伝いをしていたのよ」

「私はあなたのこと知らないわ」

「そうね、でもそれは気づいていないだけよ。私はここにいるの」

「あなたは、ここにいる?」

「また思い出してね、こんな綺麗な所があなたの中にはあるってことを」

 女の子はそれだけ言うと、スーッと透明になり、やがて消えていった。

 なにかがカチッとハマった音がした。惑星まで続いていたフローリングの床が、のびきった巻き尺がスルスルと戻ってくるように、すごい勢いで私の方へ引き寄せられてきた。その先端にある私の部屋も、遠くから私の方へ引き寄せられているようだ。目が追いつかないようなスピードと、いまさらながら非現実的な光景に圧倒されていると、瞬きをした間にフローリングの先端、私の部屋が目の前に来ていた。そこで意識を失った。

 

 私はしっかり布団で寝ていた。

 目覚ましより少し早く起きたようで、遅れてリリリリンと鳴り出す。ポンっと目覚まし時計を止めて、ベッドから起き上がる。

 大きく伸びをする。

「う~ん」

 なんか、変な夢をみた気がするなぁ。

 部屋の隅、定位置にあるクイックルワイパーを眺めつつそんなことを思う。床に視線を移すと、フローリングが心なしか綺麗に見える。

「あー、寝る前に掃除したっけか」

 スッキリした気分で立ち上がり、もう一度、大きな伸びをする。

 

「昨日の私、グッジョブ」